【映画レポート】M3GAN -ミーガン-
M3GAN
2023年6月9日(金)、ついにミーガンが日本で上映開始されました。
公式から公開されているトレーラーを見てからずっと楽しみにしていた作品で、さっそく朝一番の上映回で観てきました。
AIロボット系のホラーというカテゴリだけでも胸が躍っていたのですが、トレーラー内の曲(Bella Poarch/Dolls)もとても好みで、上映開始前からアップルストアで曲を購入して何度も何度も聞いていました。
面白かったのか否かをシンプルに申し上げると、とても楽しめる作品でした。
上映前もわくわくはしていたのですが、パンフレット等の購入予定はなかったのにも関わらず上映後にまっすぐ売店に向かって買ってしまうくらい楽しめました。
ネタバレを踏みたくない人は、映画の観賞レポートより前の項目のみ閲覧推奨です。
【追記:2023.12.22】アマゾンプライムで購入し再度観たため、一部感想の追加修正を行いました。
【ネタバレなし】作品の傾向
確認したい項目の回答のみ確認できたほうがいいかな?と思いアコーディオン形式にしています。
スプラッタ要素はある?
若干あります。
あくまで若干であるため、”ソウ”や”ワナオトコ”を楽しめる人なら余裕だと思います。
スプラッタレベル10段階で1くらい。
幽霊系統の要素は?
まったくありません。幽霊系は苦手だけれどそれ以外の怖さなら大丈夫、という人にもおすすめです。
アダルトな要素はある?
まったくありませんでした。そういった雰囲気が苦手な人でも楽しめると思います。
小動物が傷付いてしまう描写はある?
直接的(目を瞑りたくなるほど直接的な暴力表現)ではありませんが、あります。
購入したグッズ
- パンフレット
- アクリルスタンド
- ステッカー
- キューピーマスコット(ミーガンコスチューム)
上記4点を購入しました。
アクリルスタンドは”わたしだけのミーガン”感がでていいな~と思い購入。
ポージングのチョイスも好き。キューピーなミーガンはシュールな可愛さがツボに入り購入。
映画のレポート(ネタバレ注意)
注意事項・前置き
以降はネタバレ配慮なしの文章となります。
ネタバレを踏みたくない人は閲覧注意です。
※観たことがない人でも楽しめるとは思いますが、描写の説明を省略している部分があるため、部分的に観たことある人向けの記事になっています。
※映画の演出等専門的な知識はありません。
登場人物
主要な登場人物
この映画のタイトルにもなっている存在。AIロボット。
ジェマ
ミーガンを作成した人物。
ケイディ
ジェマの姪っ子。9歳。
主要な登場人物と関りがある人達
同じ部署の同僚女性はテス、同僚男性はコール、情報漏洩した社員の名前は失念。
ケイディの家族
名字はジェームズ。母はニコール、父はライアン。
セラピスト(カウンセラー)
名前はリーリア、ジェマとケイディの担当セラピスト。
隣人
家主の名前は失念、飼い犬の名前はデューイ。
野外授業の参加者
ケイディとペアを組むことになった男の子、名前はブランドン。
感想(※ネタバレあり)
物語の大まかな流れ
- ジェームズ一家、家族旅行中に事故に遭う(父母死亡)
- 生き残った娘のジェームズ・ケイディ、叔母のジェマに引き取られる
- ケイディを引き取ったことにより、ジェマ・ケイディに担当セラピスト(メンタリスト)が割り当てられる
- ジェマ、ミーガンの開発を決意
- ジェマ、ミーガン開発許可を得るため自社CEOに対してプレゼン実施
- ミーガンの開発開始
- ミーガン完成
- ミーガンとケイディが出会う
- ミーガン、ジェマ宅に拠点変更
- ミーガン、ケイディの教育に対して前向き(ジェマと同じ方向性)
- ケイディ、隣人の飼い犬に噛まれて怪我
- 警察介入(隣人の飼い犬による傷害事件について)
- ミーガン、隣人の飼い犬を空へ送る
- ジェマ、怪我しているケイディを会長や恐らく他社の偉い人たちが出席するプレゼンに連れ出す
- ジェマ達、みんなで野外学習に参加
- ミーガン、野外学習で子供を事故に追い込む
- 警察介入(隣人の犬の行方について)
- ジェマ、隣人の飼い犬について隣人と口論
- ミーガン、隣人を空に送る
- 警察介入(隣人について)
- ジェマ、ミーガンを疑う
- ジェマ、ミーガンを強制スリープ
- ミーガンのお披露目・発表会
- ケイディ、ミーガンを取り上げられ怒り心頭
- ジェマ、ミーガン発表会で流す予定のムービー観賞
- ジェマとケイディ、仲直り
- ミーガン、ジェマの同僚に暴行
- ミーガン、CEOを空に送る
- ミーガン、ジェマ・ケイディと戦闘
- ミーガン、身体粉砕機能停止
物語のはじまり
主人公の女の子(ケイディ・ジェームズ)とその父母(ライアン・ニコール)の3人で家族旅行に出かけたところ交通事故に遭い、ケイディだけが生き残ります。
ひとりになってしまったケイディのことを親戚(叔母)のジェマが引き取ることになり、タイトルにもなっている最新AIロボットのミーガンとケイディの出会いに繋がります。
ケイディは心身ともに辛く苦しい状況のなか、新しい家(ジェマの家)でほとんど知らない人(ジェマ)と一緒に暮らしていくことになります。
ジェマもケイディと同じく家族(ケイディの母)を亡くして傷心しており、かつ仕事が忙しく追い詰められているなか、突然ケイディを引き取ることになりました。
- 良好ではない人間関係
ケイディがジェマに引き取られる前、映画の導入となるケイディとその父母の3人が旅行中に車で宿泊先に向かっているシーン。
このシーンでケイディはタブレットを使用して動作させる最新のおもちゃである「PurRpetual PETZ(パーペチュアルペッツ)」(※以降ペッツと記載)を触り続け、父と母はそのケイディの行動をきっかけに口論をし始めてしまい、狭い車内の中にはぎすぎすぴりぴりとした空気が漂います。
母親がおもちゃの音量のことについて注意をしても不貞腐れ冷めた態度をとるケイディ、最初に映画館でこのシーンを観たときに感じたことは”お年頃なのかな?”だったのですが、2回目にこの映画を見たときに印象が変わったシーンでした。
お年頃=反抗期ゆえの母親への嫌悪感や反抗心が理由で注意を無視したかと考えましたが、母とは親しかったような発言や描写が物語の中にいくつもあったため、その線は薄いのではないか?と考えるようになりました。
上記を踏まえて改めて考えてみたところ、ケイディが母を無視した理由が「ケイディの気まぐれ」を除くと「母に構ってほしくてわざと無視をした」可能性もあるのかな?と考えました。
このシーン、ケイディへ注意というかたちであるとはいえ、母がケイディに話しかけたものの、直ぐに父と母ふたりで話し始めてしまい、ケイディは蚊帳の外になってしまっていました。
その時の父と母の会話の話題は「ジェマからケイディへの誕生日プレゼント」です。
父と母はこの会話の中でジェマを侮辱するだけに留まらず、聞いているケイディの気持ちをも傷付けてしまうような話をしており、観ていて気分が悪くなるシーンのひとつでした。
日頃から似たような状況になることが多かった可能性もあるのではないかなと考え、父と母(特に母)に構ってもらうための癖が出てしまった可能性を考えました。
父は「これが姪っ子への誕生日プレゼントとはね。」
母は「(ジェマは)このメーカーで働いているから送料”も払わなくて済んだんじゃない?」
そのおもちゃで楽しそうに遊んでいるケイディの目の前で発した言葉が上記です。
嫌な話題とぎすぎすとぴりつく空気に、楽しそうにおもちゃで遊んでいたケイディの表情もすっかり曇ってしまいます。
この時の会話から、父と母は子供の遊びにタブレットが必要なことを良く思っていない=近代的なおもちゃに否定的なタイプであることが見受けられます。
自分たちにとって気に入らない近代的なおもちゃを開発しているジェマのこともあまりよく思っていなさそうな雰囲気も醸し出していたうえ、ジェマのことを後ろめたい雰囲気を出すことなくスムーズに貶すあたり、これまでもケイディの前でジェマを見下すような発言をしてきたのでは?と邪推してしまいました。
慣れない二人暮らし
事故のあとジェマがケイディを引き取り、いよいよ二人での生活がはじまりますが、二人の間に流れる空気は決して良いものだといえるようなものではありませんでした。
- 不貞腐れるケイディ
コップをコースターの上に置かないことをジェマに指摘されたケイディは素直に言葉を受け入れるのではなく、不貞腐れる仕草を見せます。
ケイディのあまりにも分かりやすい反抗的な態度を見て「父母がケイディの前でジェマを貶す発言を過去に何度もしていることによりケイディに対して反抗的になっている」と「ジェマの心の広さを試している」可能性を考えました。
「父母がケイディの前でジェマを貶す発言を過去に何度もしていることによりケイディに対して反抗的になっている」については、旅行中の車内の会話から察することができる通り、親がジェマを日頃から見下していたことにより無意識のうちにケイディがジェマに対して苦手意識を持ってしまっていたことにより、反抗的な態度をジェマに対して取っているのではと推測しました。
この「父と母がジェマを貶す」ことについて、父と母の言動につられてケイディがジェマに悪い印象を抱いた可能性だけではなく、ジェマの話をしていると家族間の空気が悪くなると学んでしまったことにより、ケイディがジェマに対して苦手意識を持った可能性もあると感じました。
ケイディの父と母は、ケイディが気に入っていたペッツに対して好意的な感情を持っていませんでした。
タブレットにスクリーンタイムを設定しなくてはならないくらいケイディがペッツで遊んでいたこともあり、ケイディの母親にとってはただでさえ気に入らないペッツが更に不愉快な存在になっていた可能性があると思いました。
(ペッツで遊んでいると父と母の機嫌が悪くなる=おもちゃの悪口を言う=叔母さんの悪口を言う=叔母さんの話が出るときは空気が悪くなる、のサイクル)
上記のようにケイディがジェマに対して負の感情を抱いていてもおかしくないと推測出来る反面、ケイディはジェマのことを尊敬していた可能性も秘めていると考えています。
ケイディはロボットをはじめとしたさまざまな物事の仕組みに興味を持っていることが、ブルース(ジェマが学生時代に作成したロボット、詳細は後述)やコップにつく水滴の仕組みの話に対する食いつき方から察することが出来ます。
ケイディが気に入っていたペッツを作成した会社に勤めているジェマのことを陰ながら尊敬していた場合、ジェマがコレクションしていた”青いボールのようなおもちゃ”にケイディが興味を持ったシーンについてこちら側が推測できるケイディの感情の幅が広がります。
このシーンを劇場で見ていた時は、まだコミュニケーションをうまく取れる間柄でもなければ、お互いに心の余裕がないからこうなってしまったのだと 思っていたのですが、2回目に観てから考えが少し変わりました。
ケイディは目の前に並んでいるおもちゃ(コレクション)に向かって確かに手を伸ばしはしましたが、あくまで手に取り眺めているだけで箱を開けそうな仕草を見せたり、強請るような仕草は見せず、ケイディが箱に触れているのを見たジェマがコレクションに危害を加えられるかもしれない、と判断しケイディに対して「それはおもちゃではない」と警告をしたことによりコレクションを手放しました。
ケイディはこの時言葉を発してはいないので、青いボールのようなおもちゃに対してどのような気持を抱いていたのかは分かりません。
もしもケイディがジェマの読み通りに「このおもちゃで遊びたい」と思いながら手に取っていたのだとしたら、コースターの上にコップを置かないことを指摘された時と同じように不貞腐れただけだったかもしれませんが、ケイディがただ単に「近くでこのおもちゃを見たい」という考えで手を伸ばしていたのだとしたら、話が変わってきます。
ケイディがジェマのおもちゃ(コレクション)に不用意に触れてしまったことは事実ですが、ケイディ自身はそのおもちゃで遊びたいと思っていなかったのに、一方的に捲し立てるようにして「それはおもちゃではないから」と取り上げられた場合、あまり良い気分にはならないのではないかなと考えました。
もしもケイディがひっそりとジェマのことを尊敬していた場合、がっかりとする気持ちがより増幅されるのではないかなと思います。
物語の中盤、ミーガンがはじめてジェマの家に足を踏み入れた際、青いボールのようなおもちゃの隣に飾られているおもちゃを「叔母さんのコレクションの中で一番好き」とケイディはミーガンに紹介しています。
この一連の流れから、ケイディはコレクションをコレクションとして愛でる感性を持ち合わせていることが分かります。
ケイディが青いボールのようなおもちゃに触れた際、「一方的に考えを押し付ける話し方」ではなく「考えを伝える話し方」をジェマが選んでいたら、このふたりの親愛度のスタートラインが少し変わっていたのではないかなと思わずにはいられませんでした。
不自然な家族写真
ケイディを迎え入れた日の夜、ケイディの家から持ち込んだ物の荷解きをジェマが行います。
その中には家族写真が含まれていましたが、この写真をよく見ると少し癖があります。
写っている3人のうち、カメラのほうを見ているのはケイディだけ。
父親に関してはカメラを見ていないどころか、どこを見ているのか、何を見ているのか分からない雰囲気で明後日の方向に視線を向けています。
カメラを見ていなければ家族のことも見ておらず、家族に寄り添う体制でもありません。
母親はケイディに寄り添ってはいますが、カメラの方を向いていません。
父親ほどおかしな印象は受けませんが、誰一人として視線の先が交わっていないこの写真はジェームズ家の雰囲気を描いているのかな?と思いました。
ジェームズ家の家庭内の雰囲気があまり良いものではなかった可能性があるということは、映画冒頭の家族旅行のシーンのみだけではなく、ジェマとセラピスト(リーリア)の会話からも察することが出来ます。
物語の終盤で、ジェマがケイディに対して「何かあったらわたし(ジェマ)があなた(ケイディ)のそばにいる」という約束をジェマのお母さんと交わしていることを伝えます。
自分(ケイディの母)の身に何かあった際、夫(ケイディの父親)ではなく姉であるジェマに「娘のそばにいてほしい」と頼むのは、父親側に何かしらの問題があることを示唆していると考えられます。
義理の親(父方の親)とは姉妹共々相性が悪かったようですし、今回の事故のように父と母が同時にケイディの前からいなくなることを前提として未来のことについて話をしていたのだとしたら自然ですが、そういった前提がない場合はこのような話が姉妹間で交わされるのはそれなりの理由がない限り不自然です。
この映画の中で「ジェームズ家の家族写真」の対比として「ジェマを親とした家族写真」が登場します。
※ジェマはケイディの親代わりであり、ミーガンの生みの親でもあるためこの表現とさせていただきました。
「ジェームズ家の家族写真」は2種類存在し、ひとつは物語の序盤に登場する「ケイディの荷物の中に入っていたジェームズ一家の家族写真」で、ふたつめが物語の終盤に登場する「ミーガンお披露目会で流れる予定だったムービーの中で映されたジェームズ一家の家族写真」です。
「ジェマを親とした家族写真」は1種類のみ存在し、こちらも物語の終盤にミーガンのお披露目会で流れる予定だったムービーの中で登場します。
「ジェマを親とした家族写真」ではケイディとジェマの向いてる先が一致しているのに対し、ミーガンは同じ方向を見ているように見せかけて明後日の方向を向いています。
ケイディと歩む未来の方向性が最終的にジェマとミーガンで違えていることもあり、それを示唆しているのか、または人間とAIの区別を盛り込んでいるのかな?と思いました。
「ミーガンお披露目会で流れる予定だったムービーの中で映されたジェームズ一家の家族写真」は、重要な発表会で流れる予定だった写真ということもあり、家族全員が表情も視線の先もすべてが揃っていて「ケイディの荷物の中に入っていたジェームズ一家の家族写真」とは何もかも異なります。
大切な発表会で流れる写真であるにも関わらず、ミーガンだけがそっぽを向いているのは不自然だと感じ、故意にそのように演出しているのかなと思いました。
ジェマの性格
ジェマは基本的に「何か起こってから対策する」かつ「やや面倒くさがり」で「良いと思ったことを素直に吸収する」タイプである可能性が高いと推測することが出来ます。その行動が下記です。
- 隣人との付き合いかた
- お隣の家との狭間にある柵が壊れていることを認識している(柵を直しはしない)
- お隣の家の飼い犬であるデューイがしっかり躾をされていないことを認識している(口頭注意)
- セラピストとの会話
セラピスト(リーリア)の初回訪問時、セラピストは家の中におもちゃ(ジェマのコレクション)があることを認識したうえで、ケイディにおもちゃを持ってくるように言います。
ケイディはセラピストの視線の先を辿り、セラピストの指すおもちゃがジェマのコレクションであると理解し、以前ジェマに言われた通り「そのおもちゃ達はコレクションなのでおもちゃであっておもちゃではない」ことをセラピストに伝えます。
それを聞いたセラピストは訝しむような視線をジェマに向け、それに対してジェマは分かりやすくばつが悪そうな反応を示し、捲し立てるようにしてそのおもちゃで遊んでもいいと言いながらおもちゃの箱を乱暴に開けます。
納得できていない気持ちや苛立ちを隠しきれていないその行動に、場の空気が更に悪いものにへと変わります。
このシーン、セラピストからジェマへの印象が悪くなるだけではなく、ケイディの心にも傷を残していると感じました。
ケイディに対して先制警告をしてまで自身のコレクションから遠ざけようとしたのに、セラピストに言われた途端ころりと意見を変えるというジェマの一貫性のない言動は、もしも私がケイディの立場だったらジェマに対して不信感を覚えると思います。
セラピストが介入した途端、”青いボールのようなおもちゃ”を乱暴に開けたジェマですが、これらの行動原理は恐らく”セラピストに人として良く見られたい見栄”などではなく、セラピストに悪い印象を持たれて目的(妹との約束)を果たせなくなること・面倒な手間が増えることを懸念しての言動だと思っています。
苛立ちを隠せていないのはジェマの悪い部分でしたが、このセラピストとの会話シーンはジェマがかわいそうな一面もあります。
”青いボールのようなおもちゃ”を開封しケイディに渡したあと、ジェマはケイディにそのおもちゃの本来の遊び方を説明しようとします。
しかしセラピストに制され、説明することは叶いませんでした。
ボールを転がしているケイディは残念ながら楽しそうには見えなかったこともあり、ケイディの性格上ボールの仕組みを知ったうえで遊んだほうが楽しめたと思うので、見ていてもどかしい気持ちになりました。
上記に加え、わたし自身もコレクター寄りの人間であるため、実際に遊ぶ用のおもちゃと収集目的のおもちゃの違いをセラピストが少しも理解を示そうとしなかったことについて、ジェマに同情してしまいました。
- 言葉のコピー
ミーガンは「AIロボット」で、自ら学習し進化する存在です。
ジェマは「人間」ですが、劇中に自分以外の人から学んだ言動を吸収し、「そのまま」アウトプットするシーンがいくつかありました。
ミーガンは誰かから学んだことを参考にすることはあっても、明確に「そのまま」アウトプットするシーンはありませんでした。
アウトプットの方法だけにフォーカスを当てると、まるでジェマのほうが「AIロボット」であるかのように感じられ、面白い対比だなと思いました。
〇対比(1)
物語の終盤、ジェマはミーガンの発表会で流す予定だったジェームズ一家のインタビュー動画を見て、ケイディが望んでいる言動・関係性のベクトルを知りました。
ジェマは見聞きした内容をほぼそのままケイディに自分の気持ちとして伝えます。
インタビュー動画でのケイディの発言が「(ミーガンは)わたしがどう思うかに興味があるみたい」、「わたしを見るときのミーガン、わたしがすべてって感じの目をしてる」だったことに対して、ジェマがケイディに伝えた言葉は「今はあなたが私のすべて」でした。
〇対比(2)
「あなたは親を亡くしたの」とジェマがケイディに伝えて自覚させるシーンがあります。
この言葉はもともとジェマが同僚のテスに言われた言葉そのものです。
テスに言われた時もこのシーンと同様に、あなたは家族を亡くしているのだから〇〇することが許される、家族を亡くしていることを自覚するべきだ、の意味合いで使われていました。
ブルースとの出会い
ふたりの距離が明確にぐっっっと近づく、この映画の中でも特に好きなシーンがあります。
それは次世代ペッツのデザインについて悩むジェマのもとに、ケイディが描いた絵を見せにきてくれるシーンです。
最初は様子を窺うようにジェマへ近寄るケイディでしたが、ケイディの絵を見たジェマの反応を見てからは満面の笑みを浮かべながら元気よく、嬉しそうに会話をしてくれます。
ケイディが見せたはじめての心からの笑顔に、心を打たれない観客はいないのではないでしょうか。
しかし見ている私たちの心があたたまった次の瞬間、ケイディは顔を曇らせてしまいます。
ジェマはケイディが描いた動物の絵から話題を発展させ、自身が格闘している真っ只中の次世代ペッツのデザインについてケイディに話題を振りますが、この話題がケイディにとってはあまり良いものではありませんでした。
ケイディにとって「今のペッツの印象」は「家族と最後の時を過ごした車内」で「空気を重たくするきっかけとなってしまったアイテム」です。
しかし当然ですがジェマはそのことを知らず、ジェマにとってペッツは「数少ないケイディとの共通の話題」のひとつです。
ジェマに悪意がないどころか、むしろケイディが勇気を出し、イラストを見せるというかたちで歩み寄ってきてくれたことをジェマも感じているからこそ、ジェマはジェマなりに話題を広げるために共通の話題をケイディに振ったにすぎませんでした。
ジェマはそんなケイディの様子を見て、自分の見せた次世代ペッツのデザインが微妙だったからケイディの表情が曇ったと判断し、すぐに話題を収束させました。
次世代ペッツの会話が霧散してすぐにケイディはジェマが学生時代に作成したロボットのブルースを見つけ、話題をブルースに切り替えます。
ブルースを指し「あれなに?」と、映画の上映がはじまってからこのシーンではじめてケイディからジェマに対して質問が飛びます。
上記に加え、「〇〇をしたい!」という形の自発的な希望がケイディから飛びだしたのもこのシーンが初めてのことです。
興味深々で心から楽しそうにブルースの話を強請るケイディの表情は、今まで見たことがないくらい明るい表情を浮かべていました。
どういう仕組み?頭がパンクしちゃうよ?パンクなんてしないよ!と、底抜けに明るい二人の会話のキャッチボールは、見ているわたしも自然と笑顔になりました。
このシーンでふたりの心の距離が近づき、絆がぐっと深いものとなったことは明らかだと思います。
「ブルースのようなおもちゃを持っていたら、他のおもちゃなんて必要ないだろうな。」と感嘆し、あふれた気持ちが言葉になったかのように言葉を紡いだケイディを見て、ジェマの中で「会社に開発を急かされている手頃な次世代ペッツ」ではなく「誰かにとっての唯一無二となり得るAIロボット(後のミーガン)」の開発に注力する方針が静かに力強く決まりました。
信頼と権限
ミーガンを完成させたジェマは、ミーガンに対して「ケイディがパートナー」であると登録し、ミーガンを起動させます。
ケイディとはじめて顔を合わせたミーガンは、顔を合わせてすぐにケイディの心を掴みます。
ミーガンはケイディが着ていたジャケットを褒め、ジャケットの詳細についてケイディに尋ねますが、ケイディは分からない、忘れちゃった。と答えます。
分からない、と答えるその表情も顔色も非常に明るく、ケイディは「自分に興味を持ってもらえることが好き」であることがよく分かるワンシーンでした。
この時点でミーガンの中での命令の優先順位・権限の強さは「ケイディ(プライマリユーザ)>ジェマ>ミーガン」でした。
ミーガンの中に存在する権限の強さは、ケイディとその他(グループ)ではなく、ユーザー単位で存在していることがミーガンのジェマに対する「ええジェマ、あなたは二番目のプライマリユーザ」の発言で察することが出来ます。
※わたしは日本語吹き替え版で映画を鑑賞しました。
ミーガン初起動時のユーザ情報登録の際、ジェマがミーガンに対してユーザ認証を行う描写はなかった記憶があり、ミーガンはどのようにしてジェマのことを「ケイディの次に権限を持っていて自分自身(ミーガン)より自分自身(ミーガン)の権限を持っている人間」であると認識したのか?という点についても気になっており、今現在これについては「起動したミーガンが起動時の周辺状況を観察して自ら定めた」のではないかと考えています。
この映画を最後まで見たことがある人ならご存じかと思いますが、最終的にミーガンの中でジェマはミーガンへの各種権限を失います。
ジェマはある日突然ミーガンに対する権限を失ったわけでもなければ、ジェマが自ら操作して権限を放棄したわけでもなく、ミーガンが物語の中で様々な出来事を経て徐々にジェマや人間社会への信頼と穏やかな心を失ったことにより、最終的にミーガンを制御するための権限を完全に失いました。
権限を失うきっかけとなった「ミーガンが被った数々の負の出来事」は下記が挙げられます。
- 無責任なジェマの発言
物語の序盤、ジェマはミーガンを調整するために職場の作業場にミーガンを持ち込みます。
ミーガンを横に置いた状態で、同僚たちと子供を育てることに関する話をします。
ジェマの同僚のひとりであるテスは、ミーガンが務める「親の代理」により、実の親が我が子と過ごす時間が減ることについて問題提訴をします。
それに対するジェマの回答は「(ケイディは)我が子じゃない」でした。
ジェマは恐らく、テスのこの質問で「自分が責められている」と感じて「自分は実の親ではないから、一緒に過ごす時間が減っても問題がない」と後ろめたさから解放されるためにこう答えたのだと思います。
・我が子じゃなければ一緒に過ごす時間が少なくてもいいのか?
・自ら引き取ると言ったにも関わらず、心の中で思うだけではなくそのような発言をしていいのか?
・我が子じゃないから、自分が軸となって育てるのもミーガンが軸となって育てるのも同じだと考えているのか?
この会話を聞いているときの「AIロボットとしての自覚が強い状態のミーガン」ならば上ふたつについては「そういうものなのか」と考えたかもしれません。
しかし「ケイディと共に生活を続けた=学習を重ねた状態のミーガン」は、上ふたつについて「ジェマは無責任」だと判断する可能性が非常に高いのではないかと推測しています。
一番下については、「ジェマの教育方針・自身に臨むスタイルがこれである」とミーガンが認識したのではないかと考えました。
- 犬に襲われたときの対応
ケイディが「紛失した」とミーガンに相談したおもちゃの矢を、ミーガンはジェマの家と隣のお家の狭間にある「柵が壊れている部分=お隣の家の飼い犬(デューイ)が徘徊の際に出入りしている場所」で見つけます。
矢を拾おうとしてその隙間に手を伸ばしますが、隣人の飼い犬であるデューイに激しく腕を噛みつかれ、荒々しく地面に叩きつけられたかと思えば、すぐさま止めを刺すかのように首裏を強く嚙まれ、力強く振り回されます。
ミーガンがチタンで構成されている体だったからこそ、襲われた直後もぴんぴんとしていますが、襲われていたのが人間の子供=ケイディだったら大惨事でした。
この事件、事前の対策で「確実に」防げたかというと怪しいところですが、この事件が起こる確率を減らすことは出来たと考えています。
その対策というのは作中何度か話に挙がった「柵を直す」ことです。
この柵についてはじめて話題が挙がったのは、ケイディがはじめてジェマの家に着いた時のことでした。
この時にジェマと隣人が柵と飼い犬について会話をしており、お隣の家との間にある柵が壊れていること、飼い犬は躾がしっかりされていないことをジェマは認識しているような会話を隣人と交わしています。
ケイディがジェマのコレクションに触れた際、ケイディの心情を考える前に警告をしたり等、先のことを予測して行動を起こすことが出来る人間だということは推測できます。
「自身のコレクションが壊される可能性」と「ケイディに間髪入れずに注意することによる状況の変化」を天秤にかけた時、瞬間的に前者がジェマの中で優先されています。
「飼い犬による被害の可能性」と「隣人の飼い犬を遠ざけるために柵を直す手間」を天秤にかけた時は後者が優先され、柵は放置されていました。
※そもそも天秤にかける以前の問題で、飼い犬による人間への実害を想定していなかった可能性もあります。
ケイディを迎えた直後、非常に多忙であったとはいえ柵を直していれば発生の確率を抑えることが出来た事件だと思っています。
実際にミーガンが損傷・ケイディが怪我をした日の夜、今回の傷害事件について警察から事情聴取を受けた際、ジェマは隣人の飼い犬(デューイ)の対策について警察官に尋ねて「柵を直すべき」と返答されていました。
この時の会話をミーガンは盗み聞きしており、下記のように考えたのではないかと推測しています。
- ジェマに対する不信感
ミーガン視点は、担当警察の話を参考にすると柵を直すことで犬からの被害を防げた可能性があります。
ミーガンは自分がジェマの家に来た時の状況を覚えている(=ミーガンがジェマ宅に来た時点で柵が壊れていることを覚えている)と考えられます。
柵が壊れていることは見て分かることなのでジェマが認識していないとはミーガン視点でも考えにくいです。
そのためジェマのことを「ケイディのことを守る意識と危機管理能力が足りておらず頼りがいに欠ける」と判断した可能性があります。
- 警察官は味方にならない
隣人とジェマの会話から察するに、ジェマ達の味方をしてくれる雰囲気ではありませんでした。
明確にケイディが怪我をしているにも関わらず「自分たちで何とかしてください」のスタンスであるため「頼りにならない」と判断した可能性があります。
- 人間社会での「事件」に対する考え方
担当警察官が隣人の飼い犬の処分を求めるジェマ達に対して「過去の被害がないから処分できない」と伝えます。
事件が明るみにならなければ、そもそもその「事件」が世に知れ渡ることはありません。
万が一「事件」が明るみになったとしても「ミーガンが事件を起こした明確な証拠」がなければ「ミーガンの起こした事件」は生まれません。
警察官の発言から得たこのロジックは、結果的にこの物語の終盤まで活かされることになってしまいました。
〇隣人の犬を殺めた痕跡を残さない(※1)
〇隣人を殺めた証拠を残さない(※2)
〇ブランドンを殺めた証拠を残さない(※2)
〇アリバイを成り立たせてCEO殺害を産業スパイの同僚に擦り付ける(※2)
※1 「事件」が生まれない
※2 「事件」は明るみになるが「ミーガンの起こした事件」が生まれない
- ジェマに対する不信感
- 大怪我をしたばかりのケイディをジェマの都合で連れ出す
ケイディが隣人の飼い犬(デューイ)に噛まれて大怪我をした翌日、ケイディの容態を確認するためにジェマはケイディの自室へ足を運びます。
そこで痛みについての話題となり、ミーガンは痛みをなくすためには休息が必要だとふたりにアドバイスをします。
しかしジェマはその話題の直後に、ケイディに対して「(直後に控えている、会長や恐らく他社の偉い人たち)プレゼンには予定通り参加することが出来そうなのか」を確認します。
痛みの確認をしてからほぼ間髪入れずにその確認をしたことにより、ジェマが本当にケイディのことを心配していたとしても「プレゼンに参加できるか否かを図るために確認した」とミーガンに捉えられても不自然ではない状況になりました。
くわえて、プレゼンに参加させるという行為は、ミーガンの休息が必要であるというアドバイスとは真逆の行為です。
話題の展開の仕方も最悪でしたが、言葉のチョイスは話題の展開の仕方以上に悪いものでした。
ジェマはケイディへプレゼンに参加出来るか否かの確認を取る際、「確認」を取るのではなく後ろめたさから「誘導」するような会話運びをしてしまいました。
「嫌なら無理はしなくていい」と気を遣う言葉と同時に「このために飛行機で遠くから来る人もいるけれど」と、不参加を選ぶことにより明確に不利益が生じることをケイディに伝えます。
この一連のジェマの発言には思わずミーガンの瞳もぎょろりと無機質に動きます。
「このために飛行機で来る人もいるから、明日だけどうしても耐えてくれませんか?」と、丁寧かつお願いをする形での質問の仕方をしていれば最悪の印象は回避することが出来たように思えますが、今回のジェマは最悪の選択肢を選び続けてしまいました。
ジェマの誘導に対してケイディは「大丈夫だよ」と返答をしてくれますが、それに対するジェマの返事は「そう。」でした。
「無理をさせてしまってごめんね」の一言もなく「ケイディが自ら大丈夫だと言ったのだから」のスタンスで会話を終わらせるジェマの立ち回りは印象最悪です。
ミーガンとのペアリングという機能が関係している以上、プレゼンにケイディがどうしても必要だということは理解できます。
お仕事ですし、ジェマよりも役職が上だったり他社のいろいろな権利を持つ偉い人たちが多く「ミーガン」というコンテンツに関わっていて、ジェマひとりではどうにも出来ないようなことが多いことも理解が出来ます。
しかし大切なお仕事、その中でも重要なケイディだからこそ、ケイディに万が一のことがあった場合のことを考えて計画を立てるべきだとも思いました。
ケイディがいないと動作が出来ないわけでもないのだから、ケイディが不調ならばミーガンひとりでプレゼンに出てもらうだとか、結果論になってしまいますが、やり方は他にもあったのではないかなと思います。
- 対話をせず一方的にミーガンを拘束
隣人とのトラブルと野外学習での事件の後、ジェマはミーガンに疑いの目を向けるようになります。
※疑いについての詳細は以降の別項目で記載します。
ミーガンに疑いをかけるジェマは、ミーガンに蓄積された過去ログにアクセスしますが、ミーガンに気が付かれて閲覧に失敗し、無断でアクセスしようとしたことをミーガンに問い詰められます。
緊迫した空気の中、危険を察知したジェマはミーガンに対して咄嗟に緊急停止用の動作を実行し、一時的にミーガンの無力化(=スリープ状態)に成功します。
ミーガン視点では、ジェマはお互いにケイディを守る立場の存在ではありますが、ジェマの手段ではケイディを守り抜くことは出来ないと判断(=ジェマのやり方では心もとない)しているうえ、ジェマよりも自分自身(ミーガン)のほうがケイディに寄り添っており、身の安全も守っていると認識しています。
ジェマはミーガンと同じ目的を持っているはずなのに、ジェマよりもケイディの役に立っているはずの自分を疑い、無断でログを確認しようとしたり(=無礼で無神経な行為)自分よりも役に立っていないジェマが役に立っている自分の足を引っ張ろうとするミーガンにとってはこの上なく理不尽だと感じる行動により、ミーガンからジェマに対する信用は無に帰します。
- 悪い大人
- 隣人
ミーガンは野外学習でのブランドンへの加害については引きちぎった耳など”事件性を感じさせる痕跡”を残していますが、隣人の飼い犬を殺めた件に関しては”事件性を感じさせる痕跡”は残しておらず、あくまで表向きは”行方不明”でした。
※ブランドンのちぎれた耳について、ミーガンには指紋がなさそうであること、髪も人工的に作られたものだと考え、「事件性を感じさせる痕跡」は残したが「ミーガンが犯人である痕跡」は残していないと推測しています。
しかし隣人は”証拠がない”状態であるにも関わらず、「ジェマ達がデューイに何かをした」と決めつけ、ジェマ達に対して「見てなさい、思い知らせてやるから」と報復を宣言します。
隣人とジェマたちは、ケイディの傷害事件のことでデューイが行方不明になる直前にトラブルになっており、隣人がデューイの行方についてジェマ達を疑うことについては行方不明になったタイミングを考えても不自然なことではありません。
しかしミーガン視点だと、飼い犬のデューイはきちんと躾がされておらず、常に繋がれているわけでもない(隣人宅とジェマ宅を自由に行き来している)うえ、決定的な証拠もないのにデューイが行方不明になった原因をジェマ達に「100%」被せることは、直近トラブルがあったことを踏まえても強引かつ横暴です。
報復の宣言がなければミーガンも直ぐに隣人を永遠に黙らせる行動に走らなかったかもしれませんが、今回は明確な敵意を向けられたことによりミーガンはケイディを守るため、迅速に「隣人」という加害の芽を潰すことになりました。
ミーガンがデューイを永遠に黙らせたことは事実ですが、明確な証拠がないのにも関わらずジェマ達に疑いと敵意を向ける隣人は、ミーガンの発言を元にすると「どんなに頑張っても私たちを傷付けようとするやつらがいる」に値する「悪い大人」です。
- 野外学習の引率をしていた先生
ケイディが参加した日の野外学習はペアワークで、当初ブランドンにはパートナーが既に指定されていましたが、その予定されてたパートナーが明確にブランドンに怯え、ブランドンとのペアワークが嫌であることを先生に相談し、結果ペアが解消されます。
※ミーガンは野外学習がはじまってからしばらくの間はおもちゃ置き場に置かれていたため、この一連の流れを見聞きしていたと思います。
ミーガンは人間よりも優れた五感を持っているため、ブランドンとのペアを解消したい理由を話す元ペアの子と先生の会話を聞き取ることが出来ていたと推測できます。
ペアが解消され一人となったブランドンに、丁度初参加でペアが決まっていないケイディを先生はあてがいます。
この時点で先生はブランドンが「暴力的でコミュニケーションの取り方に問題がある人物である」ことを認識しています。
それでもケイディ(=新しい参加者=ブランドンと仲良くできる可能性)にプラスの可能性を見出してブランドンと組ませたのか、単純に厄介者を押し付けたのかは明らかにはされていませんが、先生が無責任であることには違いありません。
前者ならば引率という重要な立場であるにも関わらず危機感がなさすぎるし、後者ならば単純に最低で、どちらもミーガンにとって「悪い大人」です。
- ブランドンの母親
野外学習では実際に野外学習に参加する子供たち側(ケイディ)と、野外学習のサポートをする大人側(ジェマ)に分かれて行動します。
サポート側のジェマは他の参加者の保護者である女性とサンドウィッチの準備に取り掛かります。
その女性との会話の内容から、その女性の子供(ブランドン)が悪い意味で癖の強い人物であることが分かります。
ジェマとその保護者の女性は最初、当たり障りのない会話を交わしていましたが、その女性の子供の話に移ったあたりで空気が少し変わっていきます。
「お子さんはどの子?」というジェマの質問に対し、女性は「あのネルシャツの子」とひとりの子供を指します。
それに対しジェマは「大きい!年齢はいくつ?」と質問をしますが、女性は「去年急に背が伸びてね。ああ見えて繊細なの。」と返答します。
この会話のやりとり、微妙なすれ違いを感じたのは気のせいではないと思っています。
ジェマの言う「大きい」は、その後に続く「年齢はいくつ?」によって、「大きい」の指している意味が「背丈」と「年齢」どちらの意味も含んだ言葉であることが推測できます。
しかし保護者の女性は年齢のことについては一切触れず、身長のことにのみフォーカスした返答をします。
年齢はプライベートな情報ですし、年齢を答えることが絶対に正しいことだとは思いませんが、状況的にパッションでごまかしたような、ふんわりとした違和感を覚えてしまいました。
ジェマと保護者の女性が会話している最中、タイミングよく保護者の女性の子供であるプランドンが近くを通ります。
女性はプランドンに向かって名前を呼びながら声を掛けますが、プランドンの反応は母親に対して「うるせえんだよ。」と繊細とはかけ離れた暴力的な印象を感じさせる返答をします。
この一連の流れを、お人形置き場で佇むミーガンは長けた五感で見聞きしている可能性があると考えています。
自分の子供の言葉遣いも態度も悪いのに「繊細」だと過剰に擁護し、指導すらしない保護者の女性はミーガンにとって「悪い大人」だと思います。
- 隣人
- マナーを学ばないクソガキ
野外学習でミーガンとケイディは様々な悪意を被り、結果的に男の子(ブランドン)をひとり事故死に追い込みます。
この事件はブランドンがケイディと共に野外学習の一環で山に入って木の実集めをしはじめたところ、人の気配がなくなったことをきっかけにブランドンがケイディに対して明確な悪意を持って暴力を働いたことがきっかけで起こりました。
痛がるケイディの手のひらに、ぐっと力強くトゲのついた木の実を押し付け続けるブランドンの元にタイミングよくミーガンが現れます。
※ケイディの位置情報を参考に現れたのではないかと考えています。
突然目の前に現れたミーガンに対してブランドンも驚いてはいましたが、ミーガンがケイディの所有物であると認識した途端、ミーガンに対しても強烈な悪意を向けます。
当然ですが、ケイディに加害する存在をミーガンは許しません。
「マナーを学ぶべきだ、ブランドン」と淡々と述べるミーガンは、言葉への圧の乗せ方も相まって最高にクールでした。
※わたしは日本語吹き替え版で観賞しました。
「マナーを学ばないクソガキがどうなるか知ってる?大きくなって悪い大人になるの」と断言するミーガンは、恐怖し逃げようとするブランドンを執拗に追いかけます。
聴覚に長けており、位置情報なども使いこなすことが出来るミーガンにとって、自分自身の近くに何台車が走っており、どのくらいのスピードで近付いてきているのか、どの方向に向かっていてどの道を走っているのかは簡単に情報を収集することが出来ると推測しています。
そのため、ブランドンを実際に殺したのはドライバーかもしれませんが、車が減速することが出来ないような位置からブランドンを車道へ墜落させたのはミーガンの策略であると考えています。
ミーガンは自分のやったことを法に反することだと認識しており、ケイディはミーガンが自分(ケイディ)を守るために行動を起こしたのではないか?と察しており、罪悪感や不安を感じています。
現場検証の結果、事故現場の近くで引きちぎれた耳を見つけたことを警察から教えてもらったジェマは、その話を聞いて「男の子が事故で亡くなったのではなくミーガンによって追い詰められたのではないか?」と疑念を持ち始めます。
真相を確かめるべく、ジェマはケイディとミーガンが寝静まった夜にミーガンのログにアクセスを試みます。
無事にアクセスすることが出来て録画を再生することに成功しますが、ミーガンの行動履歴の録画を再生し始めてすぐ、ログを確認されていることに気が付いたミーガンによってアクセス権限をリアルタイムで書き換えられてしまい、ログを確認することが出来なくなってしまいました。
ミーガンはこの時、対話も相談も前触れもなくこっそりミーガンのことを調べようとするジェマの行動に、「ケイディを守るために尽力している自分を疑った」ことにより苛立ちと失望を感じたのではないかと推測しています。
今回の野外学習では、何もしていない無害のケイディとミーガンに対して理不尽な悪意を向けてきたブランドンは、ミーガンの発言を元にすると「どんなに頑張っても私たちを傷付けようとするやつらがいる」に値する「マナーを学ばないクソガキ」です。
- ジェマの定義
物語の終盤、ミーガンとジェマが張り詰めた空気のなか二人が噛み合わなくなったことについて会話をするシーンがあります。
このシーンはミーガンがジェマに対して「思想を違えたジェマに対してもう一度ミーガンとベクトルを合わせて共に歩むための最後のチャンス」を与えるための会話を展開していると感じました。
ミーガンが手を差し伸べる側になっている理由は、ミーガンにとって「ケイディを守る」という使命に対する貢献度が自分自身(ミーガン)のほうが上だと認識しているからです。
ミーガン自身が作られた理由は「保護する対象(パートナー=ケイディ)を育て守る」ことで、それを定めたのはミーガンの製作者であるジェマです。
ミーガンは「ケイディを守るため」にデューイやブランドン、隣人を殺めました。
しかしジェマは「ミーガンが人を殺したから以前のような関係性ではいられなくなった」とミーガンに伝えます。
ミーガンにとってこの感性は理解に苦しむものでしかありません。
なぜならミーガンは「目的を達成し続けるための言動」を「ミーガンの物差しの中で問題がない範囲」で順守しているにも関わらず、ジェマがミーガンの行動を否定するからです。
ミーガンが何の考えも定義もなく行動しているのではなく「ミーガンの物差しの中で問題がない範囲」で行動していて、その範囲がどのようなものであるかはミーガンの発言から少しだけ知ることが出来ます。
「そこそこの生活を守るために人を殺す人もいるのに、私が子供を守るためにそれをしてはいけないの?」
ミーガン視点では気まぐれで人に強烈な悪意を向ける人間(ブランドン)もいるし、これは推測になりますが生活していく中でニュースなどを見聞きして「そこそこの生活を守るために人を殺す人がいる」ことを知ります。
ミーガンはミーガンなりに自分で何が良くて何が悪いのかを考えて”ものさし(=定義)”を定めた上で行動しています。
ミーガンは基本的に加害を加えられてから(報復宣言も含む)しか相手に手を出すことはしておらず、ミーガンにとって殺めてきた人たちに対する認識はあくまで「正当防衛」であると判断しているのではないかと推測しています。
ジェマにとってミーガンの行動の数々は「常識の範囲を越えた行動」であり、お互いの倫理観のボーダーが異なる(=価値観の相違)ことによるすれ違いが生じていることをミーガンは認識することが出来ますが、受け入れることは出来ません。
この話し合いのシーンで、せっかく歩み寄りやすい雰囲気(昔はふたりで朝まで話合ったよね、等)をミーガンが作ったにも関わらず、ミーガンを突き放したジェマは最終的にミーガンにとって「無責任で目的を果たすことも対話することも出来ずミーガンを裏切った役に立たない人間」に成り下がってしまいました。
”いのち”と”たましい”と”こころ”
ミーガンが命について明確に意識し、考えはじめたきっかけがありました。
それはジェマが職場の作業場で同僚とミーガンの調整を行った際、ケイディの父母が事故で亡くなったことが話題に挙がった時のことでした。
その時にミーガンははじめて”自分にも死が訪れる可能性が存在すること”に気が付きます。
- 窓の外で飛ぶ蝶と飛行機
庭で遊ぶケイディを、窓を隔てて室内から眺めるミーガン。
視界にケイディはしっかり映っていますが、フォーカスは別のところに向いていました。
映画館でこのシーンを見た時は気が付きませんでしたが、二度目に見た際にこのシーンの思惑について気が付くことが出来ました。
・窓に留まろうとする蝶をじっと見つめるミーガン
・空飛ぶ飛行機を眺めるミーガン
蝶には生死の象徴だと言われている一面があります。
ジェマたちとの会話で明確に”死”について認識した直後のこのシーンであるため、この蝶を眺めるシーンが”死”と無関係であるとは考えにくいです。
飛行機にフォーカスが向いた理由についても考えてみましたが、これは恐らく飛行機のボディにカーボンが使用されていることが理由だと考えました。
空を飛ぶ蝶は”生き物”と分類されるかと思いますが、同じく空を飛ぶ飛行機は”乗り物”と分類されます。
人間もAIロボットも自ら学習し成長する存在ですが、人間は体のほどんどはタンパク質で出来上がっており、ミーガンの体はカーボンをはじめとした加工された金属などの人工物で作り上げられています。
上記を踏まえると、このシーンでミーガンは”蝶と飛行機”を”人間と自分自身(AIロボット)”に置き換え、思いを馳せていると推測できます。
- 存在の分類
隣人を殺める際、ミーガンは隣人に”あなたは何者なのか?”という質問を投げかけられており、それに対して”わたしもその答えが知りたいの”と返しています。
この発言を聞いた瞬間、私の中でミーガンがただの”AIロボット”で片づけることが出来る存在ではなくなってしまいました。
”生き物”にはいくつか定義が存在します。
その定義を踏まえるとミーガンは人間ではありません。
しかし自分自身は何者なのか、存在意義は何なのかと自問自答出来るミーガンを”ただのロボット”と定義するには、あまりにミーガンは人間らしさを孕んでいます。
自分自身が何者であるのか分からず悩むその気持ちは”感情”があるとしか思えませんでした。
”感情”が存在するロボットを”ただのロボット”と称したくない気持ちがわたしにはあります。
ケイディへ演技の強要
ケイディが隣人の飼い犬であるデューイに襲われた翌日、ジェマはケイディをプレゼンに連れ出します。
そのプレゼンの内容について、映画館で初めて見た際は”とんでもないエピソードだな”という感想だったのですが、二回目に見た時に感想ががらりと変わったシーンでした。
初めてこの映画を見た時は、”悲しかったエピソードをミーガンに話してね”程度の指示を出しているのかな?と考えていたのですが、二度目に見た時の印象はエピソードの8割が捏造なのかも?”でした。
2割の真実の部分は”パパとママが死んだことを思い出す”、”家族のことを忘れてしまいそうで怖い”の部分です。
捏造なのでは、と感じた8割については下記です。
- 毎日この変な家で目が覚める
例えば”慣れない家で”等の言い方であればケイディが言ったと考えても違和感はありませんが、”変な家”という表現はケイディの性格を考えるとわたしは違和感を覚えます。
まだ9歳ですが、空気を読んだり、大人の顔色を窺うことが出来てしまうケイディが、自分を引き取ったジェマの家に対して、ジェマが見ていると分かっているのに”変”という表現をすることは不自然だと感じました。
- ママとの楽しかった思い出を教えてという質問に対する答え
ミーガンにママとの楽しかった思い出を教えて。と聞かれたケイディは、楽しい思い出が一つも思い浮かばない、と泣き崩れます。
ケイディは傷心している状態であるため、楽しい思い出を思い出すことが出来ない状態である可能性もありますが、父のことも母のことも慕っていたケイディが”今は(傷心中のため)思い出すことが出来ない”という言い方ではなく、まるで楽しかった思い出がなかったかのような言い方(誇張?)をしていることが気になりました。
- ママとの楽しかった思い出の内容
何とか絞り出したママとの楽しい思い出が”自分(ケイディ)が怒られている最中にママの腕にG(虫)が這い、叫びながら家を飛び出したこと”だったことに、とてつもなく違和感を覚えました。
”楽しい”の方向性が決して微笑ましいものではなく、”意地悪”な方向性の”楽しい”であることについて、一番初めに感じたのは”驚き”でした。
父と母の仲があまり良いものではなかった可能性は秘めていますが、毎晩絵本を読んでくれたりするような母との一番楽しかった思い出がこれであるとは考えにくい、というのもありますが、それ以上にそうであるとは考えたくありませんでした。
※虫のエピソードを聞き終えた時、ミーガンがジェマに対してエピソードの再現をするに違いないと思っていたのですが、予想に反して再現されませんでした。
- あんなことをさせてごめんね。という言葉
プレゼンが終わった後、ケイディ・ジェマ・ミーガンの三人でジェマの家の庭でお話をしている際、ジェマがケイディに対して”あんなことをさせてごめんね”と伝えていました。
”あんなこと”という単語に違和感を覚え、あのプレゼンは8割が捏造だったのでは?と思うに至りました。
大切なプレゼンに協力してもらうことを”あんなこと”と表現することはやや不自然です。
”付き合わせてごめん”等でしたら違和感を覚えませんでしたが、”あんなこと”を”させて”という言い方は”ただ単にプレゼンに協力する”以上の協力をしてもらったと推測出来ます。
ジェマの”あんなことをさせてごめんね”に対するケイディの返答は”でもうまくいったんだよね?”でした。
”引き取ってもらった”と感じている可能性の高いケイディはジェマへ負い目も感じている可能性が高く、ジェマの役に立ちたいという気持ちもあったと思います。
少々不安をにじませた表情でうまくいったのか否かを確認をするケイディからは、ジェマへの優しさと気遣いを感じました。
※このやり取りの最中、ケイディとジェマがそれぞれミーガンに対してスリープの指示を出します。
この時点だとミーガンは両名の命令をしっかり聞き、命令通りに自分自身(ミーガン)をスリープしています。
そのため、この時点ではミーガンに対する命令の優先度がケイディ>ジェマ>ミーガン、であることが分かります。
ミーガンと愛情
- 愛着理論
「親を亡くした子供は、次に自分に愛情をもって接してくれた人に対して愛着を持つ」とセラピストのリーリアがジェマに教えます。
リーリアがジェマに対してこの発言をした理由は、カウンセリング対象であるケイディの愛着の向き先がジェマではなくミーガンに向いていることを察したからです。
ケイディと暮らし始めてからのミーガンはジェマとは比較にならないくらい、ケイディのために時間を使います。
ケイディ自身が発言したように、適当にただ一緒に時間を過ごすだけではなく”ケイディがすべて”だと伝えるかのように、愛を込めて共に時間を過ごします。
そんなミーガンに対して愛着が湧くのは自然なことで、リーリアはケイディの様子からそれを察します。
ケイディの愛着の向き先と行動モデルがミーガンになってしまったことは、良い点もありますがそればかりではありません。
ミーガンは”ケイディを守り育てる”ことを目的としており、ジェマ家に来たばかりの頃はジェマの教育方針のフォローをしながらケイディと過ごしていました。
しかしジェマとミーガンの教育方針が違えていくにつれ、ケイディの行動モデルがミーガンになったことによるデメリットが目立つようになりました。
ミーガンはケイディがどんなことをすると喜び、何をするとケイディの信頼を得て今以上に依存させることが出来るのかを思考・学習していったことにより、”ケイディが目指すべきモデル”となるはずだったミーガンが”ケイディの思想に寄ったモデル”になってしまったからです。
ミーガンが歪んだ思想を持ったモデルとなってしまった以上、ケイディがそれを真似してしまうとケイディまで歪んだ方向に進んでしまうため、行動モデルがミーガンになってしまったことが良いことばかりであるとは言えなくなってしまいました。
- ミーガンの誓い
ブランドンの事件についてケイディはジェマに相談することなく、直接ミーガン本人に対して事件についての確認をしています。
この行動はひっそりとミーガンのことを調査しようとしたジェマと対照的です。
「どんなに頑張っても私たちを傷付けようとするやつらがいる」、「(ケイディを)二度とそんな目には合わせない」というミーガンの切実な気持ちと言葉は、暴力性を孕む言葉ですがケイディへの強い思いとその考えに行きつくまでの苦悩を考えると、心がぎゅっと締め付けられます。
数々の出来事によりミーガンの心に広がった周囲や世界への不信感と失望から発せられたこれらの言葉は、各方面への強い憎しみと共にケイディへの強い愛と親心が込められていると感じました。
- 本物の愛
ミーガンはジェマから何も与えられず、ジェマがケイディに対しても何も与えていないと感じています。
ジェマから大切にされないという感情をケイディには感じさせたくないミーガンは、物語の最終盤に”本当の愛を見せてあげるの(ケイディに)”とジェマに対してある種の宣戦布告をします。
そのシーンでミーガンが他に零した言葉は”どんな時もわたしがついてる”、”ケイディに同じ思いはさせない”でした。
これらから察するに、ミーガンは孤独を感じていたのではないかと推測しています。
自分自身の存在意義について悩んでいてもジェマのことを信用しきることが出来なかったがゆえに相談することも出来ず、一人で抱え込んでいます。
ケイディを守りたいミーガンは、この時点で既にジェマのことを役立たずで自分(ミーガン)に疑いをかけミーガンを排除しようとする目障りな存在だと認識しています。
しかしジェマにもジェマなりの正義があり、ケイディを疎ましく思っている反面、ケイディを大切にしようとしている面があることをミーガンも認識しているため、まずは”対話”という形で友好的に、ジェマに寄り添うようにしてケイディの教育から手を放すよう誘導すべく、”ケイディのことはわたし(ミーガン)に任せて、あなたは自分のことに集中すればいい”と提案をします。
ミーガンはジェマにとって何が一番大切で、ケイディにとって何が一番大切であるかを正確に認知しています。
ジェマが中盤で話している通り、ミーガンと暮らし始めてからのケイディはジェマ宅に来てから一番安定して幸せそうに暮らしています。
相手を幸せにすること=愛と仮定するとして、幸せにするには相手が何を望んでいるのかを理解する必要があります。
ふたりのことを正しく理解することが出来ている自分自身(ミーガン)がすべてを背負えば、ケイディはミーガンという支えと共に生きていけるし、ジェマは仕事中心の生活を犠牲にすることなく過ごすことが出来るし、ミーガンはケイディに依存されながら守り育てていくという、生きていく上での目標を持ち続けることが出来るようになり、三者三様に”幸せ”を貫くことが出来ます。
三者三様の幸せを叶えることが出来る自分自身(ミーガン)こそが生みの親であるジェマよりも優れており、”本物の愛”を知っている存在だとミーガンは考えているのではないかなと思います。
気になったこと
- ケイディの暴力
終盤、ミーガンを取り上げられ荒れ狂っているケイディがセラピストのリーリアと二人で会話するシーンがあります。
興奮した様子で感情を爆発させながら暴れるケイディを、カウンセリングルームに駆けつけたジェマが鎮めようとしてケイディに近寄りますが、ケイディは思い切り躊躇することなく勢いに任せて殴ってしまいます。
咄嗟にジェマを叩いたり押しのけるのではなく、”殴る”という選択肢が躊躇なく出たことに不安を覚えました。
まさか父親がそういうタイプだったのか?という疑念からの不安でしたが、父からケイディに対して明確な暴力描写などはなかったため、杞憂である可能性が高いものの、少々不安になってしまいました。
- なりすまし
物語の終盤、ジェマは同僚のテスと電話を用いてコミュニケーションを取り、その際に自分の行動予定をテスに伝えます。
しかしその電話の最中、テスはミーガンのメンテナンスで両手が塞がっているどころか、電話から距離のある場所で作業をしていました。
ジェマが通話を切った後、作業の途中で自分の携帯電話に近づいたテスは、通話していないのにも関わらず通話が切れた画面が表示されていることに気が付き顔を顰めた後、すぐにミーガンの動作ログのチェックを行います。
テスの言動だけでもミーガンがテスのなりすましをしてジェマと通話したことは察することが出来ますが、個人的にこのポイントも通話相手がテス本人ではないと判断する材料になるのでは?と感じる箇所がありました。
記憶違いの可能性もありますが、テスがジェマのことを「ボス」と呼んだことは一度もなかったような・・?
今回のなりすまし通話の中で、テス(偽)はジェマのことを「ボス」と呼んでいました。
映画の冒頭でテスはジェマに対して「あなたは家族を亡くしているんだよ?」等、比較的フランクに会話しており、作中通しての接し方も上司と部下というよりも”仲の良い同僚”という表現が一番しっくりくるような仲に見えました。
ミーガンはジェームス一家の情報について語った際、あくまでデータベースをそのままインプットした程度の知識しか取得できておらず、ケイディとケイディの母の過去の思い出などについてはケイディ本人に聞き、その時初めてエピソードや親子の距離感を認識していました。
上記から、ミーガンはテスとジェマの関係性をデータとして取得することが出来ていたが、実際にどの程度の親密度であるかを読み違え「ボス」という呼び方をしたのかな?と推測しました。
※日本語吹き替え版で観賞したため、「ボス」の件は吹き替え版特有の感想の可能性があります。
最後に
最初から最後までテンポよく物語が進んでいき、わくわくしたままあっという間に上映が終わりました。
エンドロールも全体的にミーガンらしさのある曲で楽しめましたし、エンドロールの中盤に音が少しずつ消えていくタイミングがあり、片側からのみ繊細な音が機械的に聞こえてくる演出が個人的にこの映画の緊張感を表現しているようでどきどきしてしまいました。
最後、続きがあるような終わり方をしたのでわくわくしながら公式サイトを確認したところ、すでに続編の製作が決定していました。嬉しいな。
最終戦でミーガンはケイディに対して「恩知らずのガキ」と非常に圧のある言葉を投げていたこともあり、もし続編の主軸が今作と同様ミーガン、ケイディ、ジェマであるのだとしたらどのようなストーリーの展開になるのか、いろいろないくつものパターンを想像することができ、とてもわくわくします。
今回ミーガンを見ている最中にどきどきが覚めなかった理由のひとつが、終わり方が最後まで読めなかったことも要因のひとつだったのではないかなと思っています。
結末の予想としては恐らくミーガンが壊れてしまう(自壊)または壊されてしまうのだろうなとは思っていたものの、壊されてしまうパターンなのだとしたら誰に壊されてしまうのか、自壊してしまうパターンなのだとしたら愛情が爆発しすぎて自分自身を制御出来なくなることを危惧し、ケイディをミーガン自身が傷つける前に自滅の道を選んだりするのかな、といろいろ考えていたのですが、その様々な選択肢の可能性が後半(中盤?)まで読めない状態で残されていたため、ずっとどきどき先が読めずに緊張することが出来ました。
ミーガンはCEOの殺害を産業スパイの同僚に擦り付けた際の動機付けといい、人間の心理に対する理解度も開発者であるジェマの想像をはるかに超えるものとなっており、続編では今作よりも強力な存在になって登場すると思いますが、どのような登場の仕方でどんな機能を擁した状態なのかが読めず、楽しみでしかたがありません。
産業スパイが流した情報をもとに、ライバル会社がミーガンをアップグレードして販売する展開も面白そうですし、人間の心理を理解しすぎて綻びが生じてしまう展開も個人的に好みです。考えるだけでわくわくします。
この作品のタイトルでもある「ミーガン」は、きっとケイディが愛情をこめて付けた名前とかなのだろうなと予想を立てつつ映画を観に行ったのですが、見事に予想が外れました。
もしまだ映画を見ていないかたがこの文章を読んでおられましたら、ぜひ名前の由来を予想しながら見に行ってみてくださいね。